第2話:「リアル競馬と出会った日」

──2月12日、僕の“財布”と“価値観”が揺らいだ。
2012年2月12日、日曜日。
東京競馬場、共同通信杯(GIII)。
この日を、僕は一生忘れない。
子どもの頃にも一度、父に連れられて競馬場へ行ったことがある。
でもあの時は、売店の焼きそばとふわふわした馬のイメージしか残っていない。
馬券って何?当たったら何が起きるの?──そんな感じだった。
だけど今回は違った。
自らの意志で“馬券”を握りしめて立っている、大人の自分。
友人に連れられて初めて訪れた“競馬場”は、かつての記憶とはまったく別物だった。
「うおおおおおおぉぉ!!」
入場して5分。
周囲から湧き上がる怒号、地鳴りのような歓声。
1レース目で感じたのは「え、ここ…戦場?」というレベルの臨場感だった。
冷たい空気の中で響く蹄の音、スタンドから飛ぶ怒号、揺れる地面。
ターフワイルド3にはなかった“振動”と“重低音”が、僕の身体に突き刺さってきた。
馬が、近い。速い。強い。
そして人間たちも、熱い。暑苦しい。いや、アツすぎる。
いつの間にか僕は、観戦してるつもりが“参加していた”。
財布から1,000円を出す手が、震えていた。
でも、それは恐怖じゃなかった。
初恋のような、興奮だった。
【最初の1枚】──はじめての“リアル馬券”
昼下がりの東京11R、共同通信杯。
僕が選んだのは、1番人気のディープブリランテからの馬連。
完全に「当てにいく馬券」だった。
ゲーム時代の自分なら「このレース、荒れそうだな」って薄く広く張ったかもしれない。
でも、リアルマネーが絡むと、人間は“慎重”という名のブレーキをかける。
友人に言われた。
「お前、その1,000円、当たったところで何になるん?」
いや、でも…当たれば次に繋がるし…。
と、口では言いながらも、心の中では気づいていた。
これは、当てたいだけで、勝ちたい馬券じゃない。
結果は――ハズレ。
ディープブリランテは走った。でも相手がいなかった。
払い戻し:0円。
それでも僕は、「くっそー!次は当てるぞー!!」と
心のどこかで楽しさに満ちていた。
【最初の大敗】──メダルじゃない、“お金”の痛み
ゲームセンター時代は、
外れても「また100枚入れればいいか」と思えた。
でもこの日、リアルの馬券が外れた時、
手元に残ったのは「ただの紙くず」と「1,000円分の後悔」。
なんだろう、この違い。
同じように「当たらなかった」だけなのに、
心にじわじわくる、“現実の痛み”。
でもそれすらも、なぜか心地よかった。
なぜって──
僕は“遊びに来た”んじゃない。
戦いに来た”ような気分だったから。
【勝負への目覚め】──だけど、まだ僕は甘かった
帰りの電車で、友人がボソッとつぶやいた。
「勝ちたいなら、もっと勉強しないとな」
僕は笑って返した。
「だよな〜、でも楽しかったわ!また来ようぜ!」
そう、まだこの時の僕には、
「的中」と「回収」の違いも曖昧だった。
当てること=正義
買った金額を回収する=意識の外
そんな“甘ちゃんな馬券観”で、
これからしばらくの“負け街道”を走ることになるなんて、
この時はまだ、夢にも思っていなかった。
でも、この日、間違いなく僕の人生は動き出した。
ゲームでしか知らなかった競馬が、
リアルな“感情”と“お金”を通じて、僕の中に入り込んだ。
そして何より、競馬場で見た“あの光景”が忘れられない。
馬の息遣い、芝の匂い、オッズ表をにらむおじさん、そして叫ぶファンたち。
「また来たい。今度は当ててやる。」
それが、僕の“競馬予想人生”の、最初の一歩だった。
▶️【第3話へ続く】
「当てる馬券から、勝てる馬券へ」
──気づけばハマっていた。外すたび、勝ち方を探すようになった。