第3話:「ハマり、沈み、のめりこむ日々」

──“競馬のことがわかってきた頃”、僕は負け始めた。
あれは2012年、春を過ぎた頃だったと思う。
初めての競馬場デビューから数ヶ月。
共同通信杯でリアル馬券を握ったあの日を境に、
僕は見事に、ずぶずぶと競馬にハマっていった。
【ハマり期】──”ディープ”の名にすべてを託した日々
週末になると、自然とJRAの出馬表を開いていた。
“予想”とは名ばかりの感覚で、最初はほとんどノリと勢いの馬券ばかりだった。
でも、何かが当たるたびに、僕の中で“勘違い”が育っていった。
たとえば、当時の僕の思考はこんな感じ。
- 「展開予想って何?とりあえず強そうな馬を買えばいいでしょ?」
- 「血統ってよく聞くけど、サンデー系ってやつを買っておけばいいんじゃない?」
- 「名前にディープ◯◯ってついてる馬は、全部後ろから差してくるでしょ?」
- 「あ、逃げてても“ディープ産駒”だから、そこからもうひと伸びするはず!」
今見れば、笑うしかないくらい浅い認識だ。
でも当時の僕は、それなりに「勉強してる気」になっていた。
買い方も、ワイド・馬連・馬単・三連複……全部試した。
三連単は高いから控えようと、逆に「堅そうな三連複」を厚く張って爆死するという、よくある沼にもしっかりハマった。
レースを“絞る”なんて考えもなかった。
開催されてるレース、全部が“チャンス”に見えた。
つまり、“全レース参加型ギャンブラー”の完成である。
それでもマグレで当たることもあって、
まだ損失も小さく、なにより「楽しい」が先にあった。
【沈み期】──“わかったつもり”が一番危ない
でも、転がり落ちるのは一瞬だった。
競馬の用語や馬券の仕組みがひと通りわかってきたころ、
不思議と全然当たらなくなった。
知識が増えた分、判断が増えた。
判断が増えた分、迷いが増えた。
そして何より――
“柔軟に考える力”がなくなっていた。
「この馬が逃げれば勝てる」
「このラップならこの差し馬が届く」
「この枠順で差しは不利だから切り」
そんな“自分の中だけの法則”が正解だと信じ込み、
外れるたびにレースや騎手を責めていた。
資金管理? 「勝てばいいんでしょ?」
回収率? 「当たれば戻ってくるっしょ?」
──そんなノリで、
1日で2〜3万がすっ飛ぶようになっていた。
なのにまだ、本気で「自分は負けてない」と思っていた。
【のめりこみ期】──“言えない”という孤独
気づいたら、誰にも言えなくなっていた。
最初は友人たちとワイワイ競馬を楽しんでいたのに、
次第に「自分だけ当たっていない」ことが恥ずかしくなり、
週末の誘いもなんとなく断るようになった。
「センスがないのかな」
「才能ない人は、競馬やっちゃいけないのかな」
そんな言葉が、毎週日曜の夜にこっそり頭をよぎる。
でも、やめられなかった。
当たったときのあの感覚、
レース前の緊張、
馬が伸びたときのあの鳥肌――
それを忘れることができなかった。
そして、とうとう。
手元の資金が尽きた。
給料も、財布の中の現金も。
気づけば、クレジットカードのキャッシング枠に手を出していた。
額は数万円だったけれど、
僕にとっては“ギャンブルに借金”という一線を越えた瞬間だった。
誰にも言えない。
言ったところで笑われる。
そんなの、恥ずかしすぎる。
そう思いながら、
僕は静かに“自分を責め続ける人間”になっていた。
「負けてる自分は、競馬を語る資格なんてない」
「予想なんてしてるけど、当たらないし」
「自分なんかが競馬をやってる意味、あるのかな」
でもそれでも、
僕は競馬をやめなかった。
▶️【第4話へ続く】
「変われるかもしれないと思えたきっかけ」
──負けていた僕が、初めて“自分の馬券”を振り返った日。